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For Creative Communication

言葉の流れに棹さす編集。高橋源一郎×橋本麻里 講演録 #kotoba2010

『言葉のデザイン2010 オンスクリーン・タイポグラフィを考える』第3回研究会に参加してきました。

こないだ書き起こした江口晋太朗さんのトークの中で、「リアルで話している言葉とtwitterでやりとりしてる言葉がほぼ同じ」というフレーズが妙に心に残っていました。それを踏まえて昨日の講演メモをまとめていると、どうもぴったり重なる部分があったようです。

原稿用紙に万年筆の「私有される文語」から、ケータイで入力してtwitterのタイムラインを流れる「共有される口語」への変化。そこに求められる、発信者の編集能力。そのあたりの観点から、まとめてみたいと思います。


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セッションは、小説家であり父である高橋源一郎さん (@takagengen) が主に話し、娘でありライター・エディターである橋本麻里 (@hashimoto_tokyo) さんが質問し、まとめる、という流れで終始進みました。父を仕切る「まりちゃん」こと橋本さんは、終始ちょっとぎこちなく構えたような感じ(笑)でしたが、親子がお互いに言葉のプロとして共演する姿は、本当にかっこいい。それぞれ文体が全く違う、というのも素敵です。

「1Q84が終わらないのは、キーボードのせい」
高橋源一郎(ハッシュタグ #kotoba2010 のTLより引用。togetterまとめてくださったのは@DaiKawakami氏。多謝)

入力デバイスがペンからワープロ・キーボードになって、より「口語に近いものが書ける」ようになった、と高橋さん。書くことの苦しみが薄れ、したがって紡がれる言葉の量は多くなる。このことは後半、橋本麻里さんが、ウォルター・J・オング著『声の文化と文字の文化』を引き合いに出して、「書き文字の文化を経た、音の文化にもどりつつある」というまとめ方をされました。「釘打ちされた印刷が、解き放たれて放流される」ように、無限に情報が流れてくる時代になったわけです。

これって、ただ「情報が溢れてるよね」と言っちゃえばそれまでなんですが、実際に彼らの言葉が複数の「実況者」に切り取られ、別々の断片でtweetされ、テンポの良い流速で流れていくタイムラインを眺めながら(そしてそれに会場から参加しながら)聴いていたので、こえ と もじ が融合するイメージが鮮明に湧いてきました。

「言葉は私有されるべきものではない」
高橋源一郎、tweeted by @mashana

twitterが公道でHP(Webサイト)が店」という比喩も好評を博していました。いま言葉は「オープンエンド」、共有を前提としたものになっていて、私有性を薄れさせ、共有を促進するのがRT,QTの仕組みだったり、電子書籍のフォーマットだったりするという指摘でした。

私有と共有。活字の本を出版したら、「これは俺の本、俺の書いた言葉」ってなるのかもしれません。一方このブログはCreative Commonsライセンスってことにしていますが、ぜんぜん勝手に引用、転用していただいて構わない、むしろお役に立てれば光栄なり、というスタンスです。「自分の言葉」という自覚は、RTされたり、誰かに共有されてはじめて自覚できる気がしていて、それがオープンエンドな言葉という在り方かなあ、とそんなことを考えました。

「言葉のインフレの時代にこそ、言葉の専門家(小説家)が強いと思う」
高橋源一郎、tweeted by @hkohno_abbr

高橋さんは「やっと我々の時代が来た」というし、原研哉さんも「混沌たる『地』から、意味のある『図』を立ち上がらせることがグラフィックデザイン」と言ってデザイナーの存在感を主張する(笑)。確かに、膨大な言葉の流れの中で、「濃い」言葉はそれだけ目を引くし、共有されやすくなるし、濃い言葉だけが淘汰されて残っていくと思う。それを生み出すのは、「編集」の能力だったり、言葉を丁寧に選んで磨くことを積み重ねた人だということですね。

こうやって、2時間のトークに居合わせた体験、400以上のつぶやきをまとめたtogetter、ほぼ日手帳にボールペンで手書きのメモをもとに、文章をまとめていく作業は、やっぱり普段のtwitterでの「ぽっと出だだ漏れ」と違って、苦しみもあるけれど、とても貴重な経験であり、鍛練であると感じながらこのエントリーを書いています。リアルでの発話も、ソーシャルメディアで垂れ流す言葉も、まとめて書き記すテキストも、それぞれ「意味の含有率」を高めていかねば、と思いました。

先週末は「24H仕事百貨」をustreamでだけ眺めて、今日はustreamで無料配信される「共有性」のある中で、一般会費3,000円を払って参加してみたわけです。

でも、それだけの価値が十分ある、と思いました。twitterが飛び飛びの点、ustreamが線で情報を得るイメージだとすると、リアルは「面」「全方位」。あらためて、その場の空気や、ひとの温度感や質感や、肉声が五感から伝わってきて、情報量がぜんぜん違うことを感じました。

もう一つ、「その場にいられるワクワク感」というのも捨てがたい。素敵な親子の掛け合いを近くでみながら、お二人の大ファンになりました。そして、帰ってTLをおさらいしたり、ustreamをもしかしたら録画でみたり、MYCOMから雑誌が出たらそれを買ったりするたび、この場の経験を思い出し、咀嚼しながら、その場に流れた言葉をふたたび消化することができる。それだけでも、リアルの経験の価値って大きいなという実感がありました。(くまのような風貌をして、iPadのソフトウェアキーボードを軽快に操る原研哉さんも、大好きです。ちょうど『デザインのデザイン』と、対談本『なぜデザインなのか』が本棚にあり、それがこの場に来たきっかけのひとつでもありました)

以上、なんとなく編集稽古っぽい感じで、個人的に面白いと思ったことをまとめてみました。

この回のレポートは、いずれ(来月ぐらい?)パブリッシングプロジェクトのWebサイトからPDFで公開されるそうです。ustreamは、録画で見られます。オフィシャルな編集がどういう切り取り方をするのか、わくわくしながらリリースを待ちたいと思います。

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