小沢朋子 part3 モコメシに訪れた三つの転機

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2007年末にモコメシという名前を持ったトモコのメシは、一つ一つのイベントを通じて、成長を重ねていきます。2010年の独立に至るまでの間、彼女の活動はどのように変化していったのでしょうか。

3つの大きな変化

――今までずっと活動してきて、大きな変化って何回かあると思うんだけど、どういうときに、どんな変化があったんでしょう?

小沢 記憶にあるのは、3つかな。1つは、単純に規模が大きいもの。初めて大きいのをやったのは、2009年のアサヒアートフェスティバルのオープニングで、150人分。これは、面白いなって思った。今思えば、あれでよく乗り切ったなっていう感じで、大変だったけど(笑)、やって、がんばればできるんだーって思った。それが、独立する1年ぐらい前。

もう1つは、初めて友だち以外の人が来てくれたとき。武蔵小杉サライ通りの「Gi」というお店でやった、半分料理教室、半分パーティみたいな会の時だった。Giのオーナーさんとの共同企画だったんだけど、男の人からいきなりメールで「ブログを見ました。参加したいんですけど」って連絡が来た。そんなの初めてだから、大丈夫かなって思いながら(笑)、まあいいですよって。その人は今では、一緒にイベントをやるくらい親しくなって、良い出会いだったんだけどね。

――友だちの中でやるっていうところから、一歩外に出た日だね。

小沢 自分たちで企画するものって、だいたいが告知も友だち向けだし、ブログもそんなに、全然知らない人が大勢読んでくれているわけではない。でもその中で、興味持ってくれる人がいるということがわかった。「ともちゃんがやってるから行くよ」ではなくて、「モコメシ、おもしろそう」って知らない人が来てくれたのは、すごく嬉しかった。

――それは、大きい。

小沢 最後にもう一つは、独立する直前に、3331(アーツ千代田)でやった、”Insideout/Tokyo Project”というイベントのケータリング。このときは本当に予算がなかったんだけど、3331っていう場所でできることの魅力と、いろんな人が来るっていう理由で受けたの。このイベントのコンセプトは、全国各地から協賛で食材が届いて、それを素材として使うというもの。そこで、「紙で折った器と、串」という基本フォーマットを作って、その上に各地の素材を使ったおつまみを載せるようにしたのね。


「伝わった」という感覚、手応え

小沢 このときのケータリングは、すごく評判がよかった。Insideout/Tokyo Projectのプロジェクトリーダーも、3331の統括ディレクターをしている中村政人さんも、すごく喜んでくれた。あの場で面白い人にもけっこう会ったし、メールくれた人もいた。モコメシのこの仕事に対して、おもしろがって反応してくれる人が多かったのね。それで、ああ、通じるんだ、伝わったって思った。自分でも、満足した仕事だったの。やりたかったことはうまくできたし、それが伝わったっていう感覚がある。

――伝わったっていう手応え。

小沢 その時にいろんな人から声がかかって、伝わるとつながっていくんだっていう実感が生まれた。それで、もっとこういうのをやりたいって思ったのが、独立したきっかけかな。

※Part4以降は、モコメシの展開する新たな企画などに焦点を当て、継続的に取材し、掲載します。お楽しみに!

プロフィール

小沢朋子(おざわ ともこ)。1981年生まれ。フードデザイナー。インテリアデザイン事務所勤務時代から、「モコメシ」の屋号でイベントのフードケータリングなどを手がけ始め、2010年に独立。カレーを始め、さまざまなスパイスを活用した「スパイスごはん」を得意とするほか、ディスプレイ等を含めた「食べること」のトータルコーディネートを行う。
twitter: @mocomeshi
http://mocomeshi.org


About Satoshi Iritani

The Portrait of Hosting 主宰。2010年9月、西村佳哲氏がファシリテートする『インタビューのワークショップ』に参加したことを機に、インタビューの面白さに開眼。「入谷文耕堂」を屋号に掲げ、インタビューとウェブ制作のプロジェクトを手がける。 http://irritantis.info/author